藤城広和(ふじきひろかず)プロフィール

1963年4月7日北九州小倉で生まれる。が、3才の時より福岡に移り住んでいるので小倉の記憶はない。

9才の頃、
ラジオで流れるポール・サイモン、アルバート・ハモンド、カーペンターズ等、なにげに洋楽を聴いていた。

11才の頃、
ギターを始める。最初のギターはRiderというドレッドノートだった。
ジャパニーズフォークに感銘を受け、かぐや姫、井上陽水、吉田拓郎などを聴きまくる。

福岡市立席田中学校入学
中学生の頃は、日本のフォークに重ねてドク・ワトソン、バート・ヤンシュ、中川イサト先生等を聴き、アコースティックギターの名手になろうとするが、無理だと気づきヴォーカルに専念するようになった。
この頃はバレーボール、演劇部、文化祭とかでのバンド活動やらでけっこう目立つ。
一番楽しかった時期かな〜...
同級生の女の子に当時大ヒット中の「ホテルカリフォルニア」を弾き語りでカセットに録音してくれ、と言われ練習するができなかった。とても悔しい思いをしています。連絡ください、I .S. さん。今からでも録音して渡したいです。

福岡県立筑紫中央高校入学
K.Yairiのギターを買う。と同時に持っていたRiderギターを¥20,000で買うという奇特な後輩がいたので即売る。
引き続きバレーボール、家でギターを弾く、、、それ以外あまりなにもやってない。
が、この時期ボブ・ディランに出会い泥沼に(?)落ちていく。

高校卒業後、東京の専門学校・音響科に入学、上京
(上京前の2ヶ月「照和」というライブハウスでレギュラー、弾き語り)
学校にはおよそ1ヶ月くらいしか通わず、福岡に帰るまでの1年半部屋にこもってボブ・ディランを聴くか、居酒屋でバイト、もしくはマージャンをしてた。吉祥寺の「曼荼羅」、渋谷の「Take 7」とかいうライブハウスで弾き語り。

めでたく学校をクビになり帰福。
照和でしばらく弾き語り、以後、アルバイト生活。
肉屋の配達、水泳のコーチ、ハンバーガーショップ、いろいろやった。今で言う「フリーター」、当時は「無職」(働いてるのに?)としか言われなかった。
この頃よりロックバンドを本格的に始める。Round Numberというバンド名だった。

20才の頃、
ビブレなんとかコンテストで入賞、京都にて全国大会、「タダで旅行だ〜」と喜ぶ。ゲストはデビューしたての中村あゆみだった。

21才の頃、
YAMAHAポプコン楽芸社大会でグランプリ、九州大会本選まで残るがそれまで。

肺炎を患って2週間入院。病院を抜け出してたばこ吸ってた。

河合楽器でバイト、以後、契約社員とかで4年程ギター、キーボードなどの軽音楽器(?)を売る仕事につく。

24才の頃、
親不孝通りに出来たカントリーライブバーに出入りし始める。アメリカンロックばっかり演ってた。
ほぼ毎日演奏し、長浜の屋台でラーメン食って帰るのが日課となった。
この頃より「バーミュージシャン」の道を歩む。が、当然(というか悲しいかな)それだけでは食ってはいけないので河合楽器は続ける。

1989年 25才の終わりがけ、
結婚。

以後、お店を数件変わりつつバーギグを続けるが次第に回数も減っていき、30才の頃にはサラリーマンなんてのも2年ちょいやってみた。

1993年、愛娘誕生。

イベント関係の仕事をフリーでやりつつバーギグを続ける。カントリーバンドを始めたのもこの頃。

以後10年は「仕事ときどきバンド」という生活がつづく。

2003年10月14日 TUPELOオープン
店主藤城誕生!